2017年10月07日

中山道は信濃追分へ〜〜

久々の更新になりましたが、今回は企画ものの制作をしたご報告です ひらめき

 企画のキーワードは、信州・信濃追分、その土地を意識したもの。そして、銅版画制作。
なにをチョイスしようかと考えを廻らせ、街道旅だな、ここは ”馬子唄” だなと至りました。
”馬子唄” とはご存知ない方もいらっしゃるかと、ざっとwiki知識で解説を〜

『馬子とは、馬をひいて人や荷物を運ぶことを職業とした人。 うまかた。うまおい。
その馬子が馬を引きながら唄う歌の事を馬子唄という。民謡の1分類。
歌詞は甚句形式が多い。一音多声のメリスマ型で一定のリズムを持たないので難しい方に入る。メリスマとは、歌詞の1音節に対して、いくつかの音符を当てはめるような曲付けの仕方をいう。ー (wiki)』
馬子唄で代表的なものが、碓氷峠を中心に往来する馬子衆によって唄われ、中山道追分宿の飯盛り女によって三味線の伴奏や囃子詞の入った座敷唄「追分節」に発展した小諸馬子唄で、古来から「小室節」とも呼ばれる。これが北国街道を北上し越後に行って「越後追分」を生み、北海道に渡って民謡「江差追分」の母体となったんだそうです。
民謡、最近はめっきり耳にしなくなりましたが(私的に)、以前はCMとかでもちょくちょく耳にする機会はあったんですがね〜。今回掘って行くにあたり、YouT~なにがしでしっかり視聴したけど、体にす〜っと入ってきますね。
 でその馬子が、馬子唄を歌いながら往来した場所が今回のお題の一つ”追分”という場所です。
追分とは、街道の分岐点を意味し、もとは「牛馬を追い、分ける場所」を意味します。
各地にありまして、私馴染み深いところでは新宿の新宿三丁目交差点がそうです、伊勢丹と交番のところ。ここには今もその名の通りの ”追分だんご” 屋あります。
しかし、今回のキーワードの追分は”信濃追分”のことです。
こちらの追分は、江戸時代の五街道の一つ、京都へと至る中山道と善光寺を経て越後に至る北国街道の分岐点の宿場。
中山道を江戸から来ると、最初の難関の坂本宿から軽井沢宿の間にある碓氷峠越えで、峠を越えると信濃の国。追分宿はその三番目の宿場として大いに栄えたという事です。

 ここの追分宿の一つに "油屋" という旅籠がありました、天保時代の記録によれば脇本陣として使用されていたとのこと。脇本陣なので大名、勅使などの利用がないときには一般客の宿泊もオッケーだったみたいですが、ここ油屋と大黒屋というのは、飯盛女など美人が多くて色々お代もお高くて、庶民にはちょっと手の届かない存在だったとの説も。
この宿場町は徳川幕府倒壊と、明治26年の信越本線の開通によって衰退していきました。
追分宿の人達は、集団で佐久市の岩村田にお引越しして営業していたとのこと。さらに、油屋と、永楽屋は追分でも旅館業を営んでいたとのこと。
近代には堀辰雄やら多くの文豪達にも愛されて定宿にされていましたと。
 そして現在、その油屋は保存活動も進められ「信濃追分文化磁場油や」という文化施設として再生されています。
その油やでの文化企画の一環の制作です。

そしてなんとこのブツは、”油や” でのみ絶賛発売中!! ( ひらめき 私の他にも5人の作家さんが制作しております)
私にしては珍しく旅情たっぷり画です。馬子唄とともにいざ追分へ〜どうですか〜

馬子01.jpg
4種、各エディション30部
旅の空、三筋立つ、二人連れ、浅間の煙
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posted by またお at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | News
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